私がまだ10代のころ上野国立美術館でツタンカーメン展が開かれたことがあった、この時見たいと思い上野に出かけると入場以前のチケット売り場まで人が並んでいた記憶がある。あまりの人の多さで どうせチラッとしか見えないのだろうと思い見ないで帰る。その時以来一度は本物見たいと思っていた。エジプトへ行きピラミッドやツタンカーメン王の秘宝を見ることはないのかなと思っていたがアラブの春の政変も軍事政権が武力で抑え込み一応の安定は保たれているように思う エジプト観光も再開された。今を逃すと生きている間に見ることはないのかと思いエジプトツアーに参加することにした 日本に戻り数日が経ちテロが数カ所であった事をテレビが流していた、何はともあれ行って良かった。無事に帰り一安心

カイロ考古学博物館前

飛行機の長旅を終えカイロ博物館前に立っている これから紀元前1567年前?のツタンカーメン王の秘宝を見る

ツタンカーメン王のマスク

エジプト考古学博物館内は入場する前にカメラは預けないと中へは入れない チェツクが厳しい 館内はそんなに混雑はしていなくゆっくりと見学できた 

この写真はインターネットからコピーしました

ギザの三大ピラミッドで最大のクフ王のピラミッド(紀元前2600年前)ピラミッドの中は一日300人のみ入場できる 中に入るにはここもカメラ持ち込み禁止 中に入ると登坂 すれ違いが大変なほど狭い腰をかがめて登る 最深部には20㎡ほどの部屋があり石棺が1つあるのみ

人の身長を物差し代わりにし石の大きさが大体わかる 石は石灰岩、日本の大谷石よりきめが細かく堅く重そう

メンカフラー王のピラミッドの前に立つ小ピラミッドは王妃のピラミッドピラミッドはギザだけでなくサッカーㇻの階段ピラミッドやダフシュールの屈折ピラミッドなど大小いろいろある

スフインクスの足元まで行く 下から見ると大きい カフラー王(左側)のピラミッドの正面にありカフラー王のピラミッドを守る

天気が良くすぐ目の前にあるピラミッドが砂の影響か?かすんで見える カフラー王のピラミッドだけが上部に化粧石の後が残る ラクダに乗りピラミッドを見る観光客

ダハシュールの街で見かけたヤギだか羊飼い 草のある放牧地へでも連れていくのかそれとも家に戻るのか

ダハシュールの町、村?エジプト絨毯を織る子供たち 小さいときに教え手が小さいほうが糸をすくうのに、いいらしい

ギザのホテル メナハウスの部屋よりライトアップのクフ王のピラミッド

ルクソール神殿 当時の王たちは日が昇るナイル川東岸を生者の町、西岸を死者の町と考えピラミッドは死後の世界で日が沈む闇の世界のためナイル川西岸に造られた

トワイライトに照らされるルクソールカルナック神殿 塔門にそびえるオペリスクは左右各1本ずつあったが今は1本のみ もう1本はパリ コンコルド広場に立ってるそうだ

ナイル川クルーズ船で移動、宿泊。毎夜乗船客のためナイトショーやベリーダンスなどが行われた

ルクソール西岸のハトシェプト女王葬祭殿

ハトシェプトはエジプトで初めての女王 かつてこの場所で日本人を標的にした?テロがあり新婚旅行者など大勢の人が亡くなっている

ハトシェプト女王葬祭殿の壁画を修復する

古代エジプトの壁面は何処もこのような壁面で飾られている

ルクソール西岸遺跡入口に立つアメンへテプ(ムメノン)の巨像 高さ21m 2体とも痛みが激しい

船内から見たナイル川で漁をする ナイル川は浅い所は20㎝ぐらいだそうで牛や馬が川の中州で草を食んでいる風景をよく目にした

ナイル川クルーズ船デッキ

船内からナイル川沿いの陸地で、サトウキビを収穫する農民 このあたりでは まだ馬やロバが荷物運搬の重要な手段として飼われている

ナイル川クルーズ船が来るのを小型手漕ぎボートで待ち、近くに来ると側によって行きロープを投げクルーズ船に掛ける(どぅやってひっかけるかは不明)デッキや船内にいる船客にスカーフ等の布を見せデッキに投げ込み売る(高さ5階建て)上手く投げ込む 感心するがこんな商売をする光景を見て なんだか哀れに思う

ナイル川にも運河はあった 旧運河と新運河 今船が入っていく方は新運河 中に入ると後ろのゲートが閉まり前のゲートが開く 驚くほどの速さで水位が上がり3~4mほど水位が上がる 水位が上がりきると出ていくがこんな狭い所にぶつかりもせず上手く入れるか感心する 運河の幅が狭く見えるが船幅はかなり広い

エドフ(町、村?)で船を降り馬車でハヤブサの神様 ホルス神殿へ向かう

エドフの町 街中の商店は平屋が多く市場のよう ビルなども建っている

古代の王たちは 死後の世界は新しく生まれ変わるための人生の始まりと考えた。死者たちは船で旅をし、神の世界に行き自らの心臓と羽根を天秤にかけ審判を受ける

この絵の壁画は古代エジプトの王たちの墓には沢山描かれている

ハヤブサの神殿で一番保存状態の良いハヤブサ象 保存状態が良いのでここで記念撮影する人は多い 順番待ちだが左右どちらにも並び誰が先だかわからない 要は早いもの勝ち 子供は待てなく遊ぶ

ハヤブサの神殿内で記念撮影するイスラム教の敬虔な信者 イスラム教徒もエジプトではあまり規制が厳しくなく頭だけ被り物をする人などいろいろ このような目だけ出している人は信心深い人 聞いてみると家では何も被らなく外出などのときだけの衣服だそうだ

乗ってきた馬車は片道だけ乗る人もいるだろうが私たちは観光後帰りも船まで馬車に乗る 馬車使いと馬は待っている エジプトの気温は昼熱く夜冷える 昼間屋根があると馬も楽なんだろう 馬車使いの井戸端会議か

壁画 王がハトホル神(愛の女神)に捧げものをする画 古代エジプトでは時代や場所によりいろいろな神が信仰されていた

壁画は古代神秘の世界へいざなってくれ見ていて楽しい

小型船に乗り換えイシス神殿へ行く 小型船がたくさん並ぶ船着き場と普通の人家


アスワンでクルーズ船を降り 切りかけのオペリスクへ オペリスク製作途中ヒビが入り放棄された 41,75m 完成していればエジプト最大と言われた

エジプト土産 香水瓶、香水、パピルス紙、エジプト絨毯等いろいろあるが ここは香水瓶と香水販売 見ている前で製作

今宵の宿 オールドカタラクトホテル中庭でティータイム ナイル川に沈む夕日を楽しむ

朝のオールドカタラクトホテルとナイル川

アルシンベルレストランの庭で水煙草を吸いのんびり過ごす女性 北部アフリカから中東あたりでは水煙草を吸う人は多いらしい。

アブシンベル大神殿 新王国時代ラムセス2世により建造された この神殿はアスワン.ハイ.ダム 建設時、水没の危機にさらされるがユネスコの協力により切り取り上部へ移転された この時左から2番目の人面部分が落下 下に落ちたままになっている年2度入口から昇る太陽の光が差し込み神像に光が入る。

アブシンベル小神殿 ラムセス2世が王妃ネフェルトアリのために造った岩窟神殿

アブシンベル岩窟小神殿内の王妃ネフェルトアリの壁画

アスワンハイダムに上る日の出

古代エジプトの神々たち

クラブツーリズム小雑誌より転載

エジプトのビール2種日本円で1本1000円ぐらい

アルコール禁止のイスラム圏酒を飲むのは観光客ぐらい


エジプトからトルコイスタンブール

ブルーモスク前でデモが行われていた

ブルーモスクに入る信者は手、足、耳の中まで洗ってから入るそうな この日は寒く観光客は多いがイスラム教信者は少ないようだ 3日ほど前に雪が降ったと言われたためか?

通称ブルーモスク内

ブルーモスクナ内イスラム教徒の礼拝

イスラム教徒がお祈りのため入る入口と観光客が入る入口は別の場所にある 信者がお祈りをするときは メッカ カーバ神殿の方角に向い祈る

ブルーモスク全体 オスマン帝国第14代スルタン・アフメト1世により1609年から7年間かけて建造された ミナレットは6本だが今1本修復中                 

イスタンブールにある博物館アヤソフィア

ローマ帝国時代はキリスト教の大聖堂として建設されローマ帝国第一の格式を誇る

その後変成を経て1453年から1931年までモスクとして使用される

アヤソフィア大聖堂 今は美術館に成っている 

グランドバザール 金製品、革製品、ショールなど生活に必要なもの何でもそろう とても大きな商店街 道筋は幾本もあり縦、横いくつもの路地があり一日中いても回り切れないほど広い 日本では見ない広さ

ここを最後に日本へ帰る